グループ展
「光の後始末」
Aftermath of Light
【artists】
秋山珠里/揚妻博之/伊勢克也/イッタ・ヨダ/宇田川直寛/大塚聡/尾関諒/
角田俊也/中原昌也/服部憲明/山本麻世
*塚原怜(小説)、横田大輔(ZINE)
Juri AKIYAMA/ Hiroyuki AGETSUMA/ Katsuya ISE/ ITTAH YODA/ Naohiro UTAGAWA/ Satoshi OHTSUKA/ Ryo OZEKI/ Toshiya TSUNODA/ Masaya NAKAHARA/ Noriaki HATTORI/ Asayo YAMAMOTO
会場:六本木スプラウト・キュレーション1006
会期:2/22(土)~3/29(土)
都合により会期を3/28日(金)19時まで、
4月は一部展示替えの後、月火曜日のみアポイントで対応させて頂きます。
スプラウト・キュレーション六本木・ルーム1006では、2月22日よりグループ展「光の後始末」を開催いたします。出品作家は、秋山珠里/揚妻博之/伊勢克也/イッタ・ヨダ/宇田川直寛/大塚聡/尾関諒/角田俊也/中原昌也/服部憲明/山本麻世とお馴染みのアーティストに加え、小説やZINEでの参加も予定しています。
「光」がテーマであることは、作品を見て頂ければ直ぐにそれと分かるでしょう。しかし「光の残滓」や「光の仕業」とせず、「光の後始末」とするとき、後始末をする行為者が光そのものなのか、作家なのか作品なのか、あるい鑑賞者なのか…行為者の主体は曖昧になります。どれでもないと同時に全てでもある。中動態という言い方もあるようですが、どちらかというと「宙動態」の方がしっくりくるかもしれません。タイトルを「光の後始末」とすることで、この展示が光、作家、作品、鑑賞者、これら全ての関係、ネットワークが織りなす事象であるというニュアンスを強調したいと考えました。
【作品解説】
秋山珠里|Juri AKIYAMA《Tabula Rasa : Leap II》
蜜蝋の絵画エンカウスティークは秋山珠里の得意とする技法です。前回の個展「Tabula Rasa」のシリーズからの出品です。溶かした蜜蝋に絵具で着色し紙に塗布。幾層かのレイヤーを形成し、熱ごてで表層を剥ぎ取り下の層をイリュージョンとして出現させます。この作品は夜の滑走路に着陸する飛行機からの眺めのようです。
揚妻博之|Hiroyuki AGETSUMA《光束は 宇宙の中で 海々の中の海々と同じように 密でなければならない》Die Lichtströme müssen im All so dicht sein wie Meere in Meeren.
ドイツの詩人クラウス・デームスの詩を題材にした2013年頃のテキストドローイングで、本展の起点になった作品でもあります。ドイツ文学の研究者である三根靖久氏の著書『フランツ・カフカ 創作と流れ、〈あなた〉との出会い』の表紙に採用されています。
伊勢克也|Katsuya ISE《Typography by Insects》
伊勢克也は1986年に渋谷パルコで開催された日本グラフィック大賞のグランプリ受賞者ですが、その後タイポグラフィの世界でも注目されます。本店出品作は、木喰い虫のコロニーの拓本をフォトスタット(中間調のない印画紙)に焼いた作品で、東京タイプディレクターズクラブ会員賞銀賞を受賞したボックスセットの一部です。
イッタ・ヨダ|ITTAH YODA《Sacha》
かつてのポスト・ヒューマン的なアプローチから一転、このところ積極的に取り組んでいるプリミティブなペインティングシリーズから。丘の中腹にある岩か、それとも何かの精霊か?光が反射したのを、獣が獲物と間違えてそろりそろりと近づいている? 丘の上の木々はそれをニヤニヤ眺めているようにも見えます。異物と獣は共にメタリックな顔料が油絵具に混ぜられていて少しシャイニーです。
宇田川直寛|Naohiro UTAGAWA《家のやり方、エスキース》
2024年2月に開催された個展「全き家では‒ 内訳による」のシリーズのスピンオフといえる作品群です。トレーシングペーパーをネガとして代用し、バライタ印画紙に、必要なイメージの部分を塗り絵の要領で筆で塗り、暗くした室内で露光・現像するという制作プロセス。印画紙はモノクロでありながら現像液が塗られなかった部分が、最初はポリフェノールを多く含んだ野菜のような鮮やかな色調を呈するものの、徐々に退色しグレーになっていく過程はまさに「光の後始末」と呼ぶに相応しいと言えます。
大塚聡|Satoshi OHTSUKA《14388272》
茶通箱をのぞき込むと、光の線分がアニメートし、無限にミラーフィードバックします。タイトルの〈14388272〉は、開口部の対角線として出来る直角三角形の斜辺の値である平方根の無限小数の中から選んだ8桁の数字です。茶通箱が二種の濃茶を入れる箱であることにちなみ、2つの概念、全体と部分(光の線分の値は永遠に続く無理数であり、またエッチングによる物質としてのスリットでもある)をテーマとしました。何か音楽を奏でるように、あるいはオーロラのように、小さな箱の中で深淵のイメージを纏いながら、全体と部分のあわいでうつろう光による作品です。
尾関諒|Ryo OZEKI《夜の木々》
一見朧気に素っ気なく描かれたように感じられる図像の細部には、複雑で豊かな色彩の粒子が広がっています。筆を転がすように、色の粒子にまた違う色の粒子を纏わせることで、独特の絵肌を作り出しています。それはかつて日本画の朦朧体などが滲ませることで実現してきた、空(くう)の表現をより能動的に手間をかけ前景化し、また光を分析的に扱った印象派の画業を継承する、尾関諒の愚直で戦略的な試みです。
角田俊也|Toshiya TSUNODA《水泡/種子》
+山本麻世|Asayo YAMAMOTO《だいだらぼっちの絆創膏》
フィールドレコーディングの作家として知られる角田俊也は、近年視覚芸術に活動の場をシフトさせつつあります。そのアプローチは、おもに映像とユニークな支持体の制作(開発)に重点が置かれています。イメージの記録としての映像(光)は、支持体の物質性と出会い、そのテクスチャーと絡み合うように、新たなイメージとして再生されます。それは将に絵画の構造であると角田は考えているわけです。
山本麻世の作品は、グリッド状の鉄の廃材を人為的に錆びさせ、4辺を専門性の高い工場で強引に折り曲げたものに、自作のフェルトを菌糸のように纏わせたものです。前回の個展のタイトルが「交わると生まれます」であったように、山本にとってグリッド=交差は、何かの発生の基点を示唆する特別な意味を持ちます。
本展では角田俊也の映像が、山本麻世の作品の綿毛のようなフェルトと、錆びた鉄のグリッドを掠めるよう映写された、スペシフィックなインスタレーションをお見せしています。
中原昌也|Masaya NAKAHARA《無題》
中原昌也氏は糖尿病とその合併症により、現在も療養生活が続いています。眼は殆ど見えておらず、しかしながらブラックアウトではなく、全てがぼんやりと光を感じることは出来る状態です。そんな中力を振り絞ってドローイングにチャレンジした小品をご紹介します。作品というにはたどたどしすぎますが、それでも中原氏らしい独特のワードのセンスや筆致が見て取れます。作品の価格に、宜しければ幾何か寄付金を上乗せして頂ければ、中原氏の療養生活に少しでも余裕が生まれるかもしれません。ご理解とご協力を頂けると幸いです。
服部憲明|Noriaki HATTORI《LA-o22》
アルミニウム板に幾層かのメディウムとスプレーでの着彩した表面を、工業用レーザーカッターが放つ強力な光の熱エネルギーで焼き削ることで、下層のイメージを表出させる技法は、既に服部の独自のスタイルとして定着したと言えます。一度出力した自身の作品に現れた偶発的なノイズを、さらに取り込むことで、イメージがよりカオティックで、心地よいグルーヴ感が際立っています。
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