角田俊也|風景と声| Toshiya TSUNODA | Landscape and Voice Aug.29—Sep.27, 2020

「風景と声」角田俊也

 

 私は自分のまわりに響く環境音を聴きながら、これに対応するものが自分の中にあるだろうかと考えた。それは声だろう。特に子音がそれにあたるのではないか。 

 

 ギャラリーには2つのスピーカーが向かい合わされて置かれている。左側のスピーカーからは瞬間的な環境音が出力され、僅かに遅れて右側のスピーカーから母音が出力される。2つの音声は再生によって合成される。環境音は遅れて出力される母音によって子音の役割を果たし、日本語の50音の発音、つまり言葉の声に聴こえる。それは人によって違う言葉に聴こえたり、単なる音にしか聴こえないものもある。これはスピーカーの間で「像」として結ばれた声である。 

 

 私はこれまでに「サウンド」を扱った制作やCDを出版してきた。しかしそれらは音楽的な関心によるものではない。例えばフィールド録音は、何か作品を空間に作る前に、空間それ自体を観察しようという発想から始まったものだった。環境はどのような姿をしているのか。それはどのような「像」として定着されるのか。何がその文脈となるのか。90年代後半から2000年代の私の制作はそのことがテーマだった。その後、《O Kokos Tis Anixis》やManfred Werder との《Detour》のような、環境に或る解釈を与えた録音作品や《間口港の低周波》や《ソマシキ場》のような特定の場所の過去に言及したものを制作してきた。そして《こめかみ録音》やαMギャラリーの展示では、環境を対象と捉えるのではなく、それとの主体的な関係を作ることを試みた作品である。今回はその展開として言葉が繋がってきた。